2016年2月12日金曜日

読んでて泣いた・・・「「死者」とともに歩む街 なぜ、被災地に「幽霊」がでるのか?」

「死者」とともに歩む街 なぜ、被災地に「幽霊」がでるのか?
「『幽霊』なんて言うな」 運転手が持つ畏敬の念
工藤さんの調査と共通しているのは、恐怖感がないことだ。単なる怪奇現象ではなく、自分たちが出会った相手への敬意がある。
工藤さんは、タクシー運転手への聞き取りを重ねる中で、こんな経験をした。
「私が『幽霊』というと、そんな風に言うなと怒る方がいました。きっと、『幽霊』という言葉に興味本位だと思われる響きがあったからでしょう。怪奇現象とか、心霊写真とか恐怖を楽しむような言葉だと思われてしまった。『亡くなられた方』とか『(亡くなった方の)魂』というと、お話してもらえました」
運転手から、こう問われたこともある。
「きみは大事な人を亡くしたことがあるかい? 人は亡くなると、眠っているように見えるんだ。あのとき、こうすれば良かったと後悔する。亡くなっても、会いに来てくれたら嬉しいんじゃないかな」
彼らは「幽霊」の存在に理解を示し、温かい気持ちで受け入れている。そこにあるのは死者に対する畏敬の念だ、と工藤さんはそう考えている。
前に朝日新聞で掲載された「被災地、タクシーに乗る幽霊 東北学院大生が卒論に」の記事を
もっと掘り下げているのがこの記事。良記事すぎて、読んでいるうちに泣いてしまったよ。

幽霊が科学的な現象として存在するかどうかは、正直どうでもいいと思っていて、少なくともインタビューを
受けた何人ものタクシー運転手たちは、無賃乗車扱いで自腹を切る羽目になってまで、幽霊を乗せて
目的地に運んでおり、その記録がタクシー会社に残っているとのことなので、彼ら自身が見たもの、
経験したこととしては、実際に幽霊を乗せたということなのだろう。

そして、タクシー運転手たちの、その亡くなられた方に対する敬意にうるっときたよ。「幽霊」ではなく、
「亡くなられた方」。震災ではすべての遺体は出てきておらず、行方不明という形での曖昧な死があって、
残された遺族は、どこかで彼らの死を受け入れなければならないけれども、明確な区切りがない以上、
個人個人で向き合うタイミングを決めなければならない。

震災での「あいまいな死」の向き合い方に関する調査・考察を行ったこういった論文はあっても
いいんじゃないかね。あくどい商売とかに利用しなければ、死者への弔いの形として、あって
いいものだと思う。


呼び覚まされる 霊性の震災学

新曜社
売り上げランキング: 3

震災学入門: 死生観からの社会構想 (ちくま新書)
金菱 清
筑摩書房
売り上げランキング: 64