2014年8月21日木曜日

声優で食べていく方法の一つの事例「海外のボイステストに応募する」

「声優自体はおよそ1万人、食べられている人は300人くらい」と声優業界の厳しい現実をテレビで
明かしていたベテラン声優の浪川大輔さんが、自身が声優業で食べていけるようになった
きっかけを話している記事が興味深い。

就職ジャーナル「仕事とは?浪川大輔」
それで、あらためて声優としてやっていこうと決め、以前お世話になった制作会社にごあいさつにうかがったのですが、相手にしてもらえませんでした。中学時代に相当迷惑をかけましたから、当然ですよね。過去のことはきちんと反省して、前を向いて進んでいくしかないとは思っていましたが、とにかく仕事がなくて。とても声優だけでは食べていけなさそうだったので、大学卒業後はアパレル関連の会社に就職しました。

会社では洋服や雑貨の仕入れから百貨店への営業、倉庫番まで何でもやりました。声優の仕事が入ったときだけお休みをもらっていましたが、最初はそんなこともめったになかったです。ただ、いつ仕事が来てもいいように演技のことはいつも考えていました。会社で仕事をすることも、演技の勉強には絶好の機会でしたよ。仕事をしていると、老若男女、いろいろな性格の人に出会うでしょう。そのたびに相手の物腰や話し方を観察するのが習慣になっていました。芸の肥やしばかり蓄えて、使い道がない状態でしたけどね(笑)。

20代はそんな毎日が続きましたが、救われたのは、僕のことを気にかけてくれる方たちに恵まれたことです。ある演出家にアドバイスを頂いて海外作品のボイステストに積極的に応募するようになったことが転機になりました。ボイステストというのは録音した声をもとに海外の制作会社が配役を決めるオーディションで、日本の制作会社にコネクションがほとんどなかった僕には数少ないチャンスだったんです。応募を続けるうちに、『スター・ウォーズ』や『ロード・オブ・ザ・リング』など大作で役を頂けるようになり、国内での仕事も増えていきました。ちょうど3D映画の登場や「活字離れ」の影響で映画の吹き替えの制作が以前よりも多くなった時期でしたから、その波に乗れたのはとてもラッキーだったと思います。

声優の仕事が忙しくなり、会社を辞めたのは30歳の時です。僕は本当に運がよかったと感謝しています。声優としてほとんど仕事がない時期が10年以上続きましたが、やめようと考えたことはありません。やるからには逃げたくなかったんです。逃げるのは簡単だけど、どんな仕事をしていてもつらいことは必ずあると思うんですよね。だったら、自分が選んだ道を突き進んだ方がいい。
ということで、浪川大輔さんは子役時代から声優業をしていたものの、当時制作会社に迷惑を
掛けたため、コネクションがなく、海外作品のボイステストに積極的に応募するようになった
ことが食べていけるようになったきっかけになったとのこと。万人に当てはまる方法かどうかは
わからないけど、ひとつの事例として頭に入れておいても良いのかもしれない。