2015年9月18日金曜日

あの90年代で最も成功した作曲家小室哲哉は実は隙間産業狙いだったらしい!

小室哲哉「吉野家おごってくれた、あの人にお礼したい」
 けれども、小室さんもいきなりスターダムの頂点に輝いたわけではない。それまでには「市場の隙間をねらう」音楽起業家としての努力があったという。

 1990年代初頭までさかのぼると、当時はまだポップスといえば歌謡曲の時代。

「TRFは90年代にモチベーションという言葉を使ってます。昭和歌謡市場で『モチベーション』という言葉を使ったのは初めてだった。いまでは当たり前で、むしろ古いくらいですけど、そういう時代だったんです」

 作詞、作曲、トラックメイク、プロモーション……音楽のあらゆる部分が発展途上で新しいことをするだけの隙間はいくらでも残っていた。

「隙間が多かったんです。新しいことを持ちこめば新しいと言われた。穴だらけだったのでカラオケ、レンタル、CD、いろんなところに入りこめた」

 音事協(日本音楽事業者協会)や音声連(日本音楽制作者連盟)のように、戦後からがんばってきた人びとはいた。しかしその反対側に立つと「広大な土地が広がっていた」と小室さん。昔の層からすると信じられない音楽が飛ぶように売れた。
マジかこれ!90年代と言えばどこもかしこも小室哲哉作曲の歌ばかりが流れ、ランキングを席巻
するほど大成功した作曲家なわけだけど、彼としては隙間産業狙いで曲を作っていたらしいよ。

たしかに言われてみれば、当時の他の曲と比べると小室哲哉の曲は異質ではあったけど、彼の
曲はメジャーになりすぎて、隙間産業だなんて全く思わなかったなぁ。

我々一般人からしたら、彼は新たな音楽のジャンルを切り拓いた人という感じなんだけど、小室氏
からすると、海外を含めたいろいろな音楽ジャンルを抑えたうえで日本の音楽業界を見ると隙だらけ
だったということなのかね。

元記事内ではMy Revolutionが大ヒット曲として挙げられていたけど、一般人の私から見た小室サウンドを
象徴する曲といえば、EZ DO DANCE(イージードゥーダンス)かな。


このタイプの曲は少なくとも当時のヒット曲ランキングにはそれまで全く無かった種類の曲だ。
この手の曲のCMとともにAVEXのロゴが表示されるのを何度も見るうちに、AVEXと言えば、
ダンスサウンドのなんかかっこいい曲を出すレーベルというイメージを持ったね、当時は。

記事内で現エイベックス代表の松浦氏と小室さんが話していたクラブサウンドの隙間に関する話
というのは、おそらくこのEZ DO DANCE誕生周辺の話なんじゃないかなと思う。