2016年5月4日水曜日

京都は知りすぎると闇が出てくるね・・・「『京都ぎらい』なぜ受ける 「洛外」育ちが本音トークぶちまけた」

『京都ぎらい』なぜ受ける 「洛外」育ちが本音トークぶちまけた
京都には中心部の「洛中」と周辺の「洛外」がある。本物の「京都人」を自負できるのは「洛中」育ちだけ。「洛外」出身の筆者は「偽・京都人」にすぎない。同じ京都の中でも、ことあるごとに一段下に見られ、小馬鹿にされてきた、というのだ。

   その屈辱の体験記がなかなかリアルだ。たとえばまだ若いころ、現在は重要文化財になっている有名な杉本家住宅の九代目当主、故・杉本秀太郎氏を洛中に訪ねたときのこと。「君、どこの子や」と聞かれ、(京都市内西方の)「嵯峨から来ました」と答えると、杉本氏は「昔、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥(こえ)をくみに来てくれたんや」と懐かしんだ。要するに杉本家の糞尿の回収作業をしていた地区の子か、「田舎の子なんやな」というわけだ。初対面の杉本氏にいきなり「肥くみ」と一発かまされ、落ち込んでしまった。
随分と強烈なエピソードだな・・・。京都は好きで、延べ1ヶ月以上は旅行しているので、大体全域
行ったと思うのだけど、いろいろ回っていると、あっ、これ深入りしないほうがいいかも、みたいな
闇が垣間見えてきたりするねぇ。

洛中と洛外、定義はよく知らないけど、行った感触で推測するなら、洛中ってのは八条通より北か、
七条通より北のことだろうねぇ。八条通は京都駅南口すぐのところにある大通りで、七条通は
京都駅北口からひとつ先のところにある大通り。七条より南のあたりから、京都の雰囲気が
変わるんだよね。

なんていうか、いわゆる京都の伝統ある町並み、という感じではなくて、もっと雑然としてくる感じ。

回ってて闇だなと思ったエピソードを一つ挙げると、京都駅から東へちょっと行くと、遠くに洒落た
感じの建物が見えてくるんだよ。これ。
何かなと思って調べたら、柳原銀行記念資料館とかいう、被差別部落に初めて建てられた銀行を
記念した資料館だった・・・。知ってしまって、正直暗い気持ちになったわ・・・。

なんというか、東京には被差別部落みたいなのはないし(少なくとも多くの一般人は認識していない)、
したがって同和教育みたいのもないわけなんだけど、ローカルな地域に初めてできた銀行が
記念館になってしまうってことはだよ、まぁそれだけ恨みつらみが溜まるような差別の歴史が
あったってことなんだろうねぇ。

あとは、京都に五条楽園っていう、五条通の南側、鴨川の西側にある、今は警察によって
壊滅させられた赤線地帯があるんだけど、あのへんに泊まったとき、そこの方が、なんとも言えない
後ろめたい雰囲気を醸し出していたんだけど、あのなんとも言えない感じも印象に残っている。

これも今思えば、京都独特の見下しみたいなのを長く受けてきたんじゃないかなぁと思うねぇ。

なんか、修学旅行やバス旅行で主要観光地を見ているだけの場合はよいんだけど、
自分で長く歩きまわったりすると、ちょっと東京ではお目にかかれないような闇っぽいのまで
見えてきてしまうのが京都なのかなぁ、というのが私自身の京都に対する印象だね。

しかし、嵐山・嵯峨野付近に住んでいたと思われる、元記事で出てきた井上章一氏、という方まで
陰湿な見下しを受けてきたとはねぇ。洛中から見たら、あのへんは京都じゃないというわけか(笑)。


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