これ!全く同じ結論になったわ!5人の全く知らないどうでもいい奴らを助ける必然性を感じないし、そのために自らの手で一人を犠牲にする方がよっぽど嫌だわ、って普通にその結論になったわ。これを昔、授業でやったら「なぜ助ける必要があるのかわからない。俺は傍観者だから放置して5人が死んでも責任はない。でも切り替えたら俺の責任になる」と言った生徒がいて衝撃を受けた。確かにその通り。「5人の人に感謝されるメリットよりも、1人の遺族に責められるデメリットの方が大きい」と。 pic.twitter.com/BU9tmtMnMU— とある高校教師S (@hellohellock) 2019年4月11日
そもそも5人のために1人に死ねっていうのおかしくない?1人の命より5人の命の方が大事、なんていうのは大局的な観点でしかないんだよね。
でも生きるか死ぬかみたいな状況にさらされている当事者からしたらそんな大局的な観点なんてどうでもよくて、相手との関係性だけが大事でしょ。
自分>家族や恋人>友人>知人>知らない人>嫌いな人
みたいな優先順位があったとして、5人の嫌いな人達を助けるために、わざわざ自らの手を下して線路を切り替え、1人の家族か恋人を殺す選択をする人とかいるの?いたら逆にすごいわ!
そう考えると主観的には「命の価値は人数ではなく自分との関係性で決まる」ということなんだと思うよ。
まぁ5人も1人も知らない人だったとしても自分は切り替える選択はしないだろうね。傍観者のままでいるのと、主体的に選択した当事者になるのとでは罪悪感が全然違うと思うから。
あー、そうだ。この件を考えたの、Fate/Zeroの後半あたりで、まさにこのトロッコ問題を扱った話題が出てきたからだろうね。多数を助けることが正義、みたいな考えに違和感を持ったわ。
虚淵 玄
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