ウィキペディアで深刻な”一次資料”汚染
一次資料というと、現実に起きた事象に限りなく近い、正確性の高いもののように思われる方も多いかもしれません。しかし、ウィキペディアでは一次資料に基づく記事の執筆を推奨していません。なるほど!私もこの記事読むまではずっと、一次資料の当たるのがベストだと思ってたわ。
ようするに、一次資料は研究者により検証、整理されていないため、それらを経た二次資料をウィキペディアでは典拠とするべき、ということです。言い換えれば、レストラン(ウィキペディア)の料理(記事)は、料理人(研究者)によって調理されたもの(二次資料)を出すべきであり、料理人が手を加えていない食材(一次資料)を出すべきではない、ということでしょうか。このようなウィキペディアの方針にも関わらず、一次資料ばかりを出典とした記事が多いのは、一次資料は正確性の高い資料だというイメージ、思い込みが執筆者にあるのではないでしょうか。
でも、信頼できる専門家が玉石混交の一次資料から選別してまとめた二次資料のほうがベター
ということなのね。まぁでもこれは場合によるんだろうね。
例えばほら、朝日新聞やTBSなどがよくやると言われている偏向報道とか、あれらなんかも
現場から得られた一次情報をまとめた二次情報ということになるけど、報道元が一次情報を
都合よく編集して、信頼に値しない情報に変えてしまうからああいうことが起きるわけで、
そういう場合は、編集されていない元の映像などを観るほうがベターということになる。
要は「信頼性を担保する」ことが最重要なのであって、そのための最も適切な手段は、一次情報に
当たることであるケースもあれば、専門家がまとめた二次情報であることもあるということ。
一次情報の信頼性の選別が難しいとか、解釈が難しいとか、そういったケースでは専門家が
まとめた二次資料のほうが信頼性の担保が得られやすく、逆に一次情報からの解釈が容易で、
信頼性の選別も不要な情報の場合は、信頼出来ないかもしれない専門家(笑)の意見よりも、
元ソースを見たほうがよいということだ。
そういえば、論文とか探してみたときもこの問題にぶち当たることはあるね。
複数の論文で、実験や事象観察の結果や解釈が矛盾していることは度々あって、そのときに
どっちの論文を信頼すればよいのか、素人には重み付けが全くできないという問題ね。
小保方晴子のSTAP細胞の論文がウソだらけ、デタラメだらけ、コピペだらけだなんて、素人には
わからないわけだからさ。