また最近「どうして人を殺してはいけないのか?」みたいなワードを見かけたので思うところを書いておく。
いや、別にいけなくはないだろ・・少なくとも自然の法則的な意味では。そもそもこのワードは重要な
ものが抜けている。それは、「人を殺してはいけない」と言っているのは誰なのか?ということだ。
それは特定の誰かなのか、社会なのか法律なのか、それとも自然法則なのか。この議論をするためには
まずそれを明らかにしなければならないのだよ。そして、自然の法則的な観点からはいけない(=不可能な)
ことではない。
別に我々が蚊やゴキブリを殺すことを自然は禁止していないし、牛や豚を殺して食べることも禁止して
いない。ただし、我々が100メートルを3秒で走ることは自然法則では禁止されている(=不可能な)わけだ。
ということで、自然法則的に禁止されているわけではない「殺人」をいけないことだと規定しているのは
誰か?ということになる。これは一般的には社会であり法律だろう。ということでここでやっと正しい
質問にたどり着く。
×どうして人を殺してはいけないのか?
○どうして社会や法律は人を殺してはいけないと規定しているのか?
ということだ。「殺人はいけない」と言っているのが誰なのかを明確にしたことで、この問いにはかなり
答えやすくなる。社会や法律が殺人を許容してしまうと何が起きるのかを考えればよいのだ。
これは実際にそういう状態になった事例がある。アナタハンの女王事件と呼ばれているもので、
戦時中に太平洋の小島・アナタハン島に日本人の女が1人と男が32人取り残されてしまい、殺人を
禁止するような法律や公権力が存在しない社会で起きた事例だ。
孤島に女1人と男32人。アナタハン島で起こった、女をめぐっての殺し合い
詳しくは上記記事を読んでもらえばよいが、簡単にまとめると、島の中にある山の中で拳銃と実弾が
見つかったことで、それを手にした男が権力を握り、大して綺麗でもない女をめぐって殺し合いがおき、
最終的には32人の男のうち13人が殺し合いにより死んでしまったのだ。
これが、殺人を禁止する法律や公権力がない社会で起きた結果だ。こんな社会で生きたいと思うか?
思わない人が大半だから、「人を殺してはいけない」とする法律ができ、社会ができたということだ。
そんなものを許していたら、社会が成立しないのだよ。
ということでタイトルの「どうして人を殺してはいけないのか?」に対する結論を再度まとめると、
・別に自然界は禁止していない
・社会や法律が禁止するのは当然で、殺人を許容していたら社会が成立しなくなるから
ということだ。個人がどう思うかはどうでもいいことなんだよ。特定個人が人を殺してはいけないと
思ってようが思ってなかろうが、それ自体は思想の自由で、殺人鬼なんかは人を殺してはいけない
とは思ってないんだろうね。ただ、法律や社会がそれを許すわけがないのは当然。
ただそれだけの話なのに、そこで道徳云々の観点なんかを持ち出したりする人がいるから、
その一般的な道徳観念に共感できない人が、反社会的な欲望を持ったときに、
「何だ…何なんだ私は?なんという邪悪wwwなんという鬼畜!これが…私の望み?」
みたいな感じになっちゃうんじゃないか。別に道徳とか関係ないから。思想自体は自由だ。